
人って苦しい環境に置かれると、新しい道に進みたいって逃げに走りますよね?
僕は10年以上、新入社員のお世話をしてきた中で2年を過ぎると新卒者に必ず訪れる倦怠期。
そこで思っちゃうのが、「誰かの太陽になれる仕事に就きたい!!」←ナンデヤネン!ってツッコみたくなりますが、僕も一時期ジョブホッパーやってたからよく分かる。
キッカケなんて人それぞれなわけで…
もくじ
失敗が許されないシビアな現場に出向させられ心折れる
私は現在、さくら訪問介護ステーション草尾で働く44歳の男性訪問介護ヘルパー兼責任者です。
もともとパソコンに興味があった私は大学卒業後に都内のコンピュータ関係の会社に就職し、エンジニアとして10年間勤務してきました。
東京にある本社で勤務し、東日本全域の保守をカバー。
名古屋や関西、九州の地方拠点にも事業所があったのですが、本社に比べると規模が小さいため、人出が足りない時は応援要員として西日本へ出張することも時々ありました。
精神的ストレスから入院することになる1年前までは、遠隔手当付きで全国に出張できて本当に楽しかったなぁ。
入社当初からネットワーク関係の苦手意識が強かった自分は、cisco資格取得を目指してスクールに通うことを決め、かつ本気で仕事に打ち込んでいました。
そしてcisco資格を取得してさらに自信が付いた私ですが、実際にcisco機器を取り扱っている企業へ出向が決まりました。
しかし、実際は資格がまったく通用しない現場で、資格より現場経験がモノをいうことを嫌というほど痛感してしまいました。
失敗が許されるスクールでの実習と違い、顧客先での失敗は絶対に許されません。
顧客担当者の期待に応えられず、次第に自信を失うようになりました。
仕事が上手くいかなくなると、途端に人間関係はギクシャクするし、自分の無力感は日に日に募るばかり。
後輩からもダメな先輩のレッテルを張られて本当にツラかったですね。
出向先から会社の上司に「自分はもうダメです」と電話で泣きついたこともありました。
家に帰っても寝付くことが出来ず、家族や会社には内緒で精神科に通院するほど疲弊していました。
看護師の働きざまを見て誰かの役に立ちたいと考えた
転職の直接の動機は、過度のストレスで生まれて初めて経験した入院でした。
当時の私は、目の前の仕事で頭がいっぱいで健康や家族といった大切なものが全く見えていません。
自由がない代わりに、時間はあった病院生活でそのことに気付かされました。
テレビから入る情報以外、社会とは切り離された中で、心の支えになったのは同じ病室で生活を共にする患者の方々と看護師の方々でした。
彼女たちの毎日の働きぶりをみているうちに「苦しんでいる人や困っている人を支える仕事がしたい」といつしか思うようになりました。
しかし看護師になるには、看護学校で何年間も勉強をしなければならず、退院後すぐにでも仕事に復帰する必要がある自分にとって現実的ではありません。
そして一人での生活に困っている高齢者のサポートを行う介護職に転職することを決意。
介護の仕事を始めるにあたり、まず介護職員初任者研修の資格が必要であることを知り、学校に通い始めてみました。
求人はハローワークで地道にアナログな方法で探した
ヘルパー2級を取得した後は、地元のハローワークに通うアナログな求職活動を続けていました。
当時は現在ほど転職サイトが充実していない時代です。
資格学校の先生から聞いていましたが、介護職の待遇の低さにガク然としたのを今でもハッキリと覚えています。
コンピュータ関係の会社の初任給と比較するとその差は歴然でした。
前職とは違い、独り暮らしは到底考えられません。
マイカー通勤可で1時間以内が、私の絶対条件でした。
その上、実際の介護現場は自分にとってまったく未知の世界。
自分に務まるかどうか不安で仕方がありません。
志望の施設をピックアップして、ハローワークの担当者から施設に連絡を入れて面接の日程を調整してもらいます。
入社の熱意を伝えるため、施設見学を兼ねて面接を受けるようにアドバイスを受けました。
介護業界に関してまったく素人の自分にとっては、ハローワークの担当者が唯一の頼みの綱であり、業界について知るために市が主催する勉強会に参加して情報収集に努めました。
面接回数は実に数10回に及びました。
介護業界は人出不足という噂を聞いていたため、この結果には相当凹みましたね。
不採用の原因はおそらく前職で体調を崩して入院したことです。
介護は体力的にハードな上に、生きてきた時代が自分とまったく異なる高齢者と常に向き合う仕事。
面接官が不安を感じるのも無理はありません。
しかし入院したことが転職の動機である以上、避けては通れない道ですから、ハローワークの担当者や父親相手に面接練習を繰り返しました。
苦しい時は誰かに頼ればいいし弱音を吐くのも構わない
現在は現場のヘルパーとして働いていますが、前職、前々職では現場の責任者を務めました。
当時の私は責任者という肩書にとらわれ「弱音を吐いてはいけない」「常に毅然としなくてはいけない」固定観念で自分を縛りつけていました。
今振り返ると、大きな勘違いをしていたのかもしれません。
自己開示をしない人間には、誰も心を開いてはくれません。
立場は責任者であろうとひとりの人間です。
苦しいときは上司や部下に助けを求めたり、頼ったりすればいいし、幾度となく周囲とのぶつかり合いがあり、それが原因で辞めていく職員も大勢いました。
しかしすべて互いを理解するため、職場を良くするために必要な経験だったと今は思いたい!
責任者になって色々と苦労しましたが、それがあったからこそ分かったことがたくさんあります。
利用者ひとりひとりに対する配慮や状態変化に対する察知が誰より優れているのは、介護ヘルパーであること。
会社を支えているのは経営者ではなく、施設長でもなく介護ヘルパーであること。
入居者が暮らしたい場所、職員が働きたい場所、それを作るのが現場のヘルパーの仕事。
時間を止めることは出来ないように、お年寄りの老いや病気の進行を止めることはできません。
私たちに出来るのはお年寄りの不安や心配、痛みを和らげ、残された時間を伴走することだけ。
人の血が通わないロボットやAIには決して真似のできない仕事が、介護です。
「ここでの生活もまんざらじゃないな」「ここで暮らせて幸せ」
そう言ってもらえる場所作りのため、この仕事を続けていきたいです。
私は今の仕事が大好きです。
誰かの支えになりたくてヘルパーに転向した男まとめ

- 失敗が許されないシビアな世界で疲弊する
- 入院先で看護師たちの働きぶりに感銘を受ける
- 介護の求人はハローワークで地道に探した
- 苦しい時は誰かに頼って弱音を吐こう!!

